私に付ける薬はない

誰かをクスリとさせたいブログ

世にも奇妙なGW

私は昔からよく夢をみる。

幼き頃は「夢の中でも色んな体験ができるなんてラッキー」なんて考えていたぐらいで、夢をみること自体に楽しさを見出していた。

しかし大人になってからは、夢をよくみるということはストレスが原因だとか不安傾向にあるだとか、挙げ句の果てには睡眠の質が悪いなんていう現実を突きつけられ、かつて夢に対して純粋無垢だった姿は見る影もない。

近年みる夢なんて至ってシンプルな悪夢ばかり。

自覚はなくても日常的に相当なストレスがのしかかっているのだろう。

特に記憶に残った夢なんかは日頃からこうやって記録に残している。

今回は今朝の悪夢を綴りたい。

 

 

天気の良い朝。

どこかは分からないが都会の真ん中に私はひとり立ち尽くしていた。

どこに向かおうとしているのかも、何を目的にそんな場所にいるのかも分からない。

周りを見渡せば、会社に向かうのであろうサラリーマン達が行き交っている。

かと思えば、大勢の子供連れファミリーなどが公園で遊んでいたりもしている。

私はどちらの部類にも当てはまることなく、私服でただただ突っ立っている。

すると唐突に、何か鳥のような得体の知れない物体がとある女性の方へと急降下しては、その女性の身体を鷲掴みにし、空高く飛び立っていくのである。

周りの群衆もその光景に驚きを隠せず、彼女の姿から目が離せない。

その女性はどんどんと上昇していき、その高さは10階建てのビルほどまでに達した。

固唾を飲んで彼女の姿を見守っていたのだが、やがて彼女は空高くから地上へと落とされたのだ。

彼女が落下してきた場所は先程までの群衆で溢れかえっていた場所などではなく、幸いにしてか誰もいない空き地のような場所であった。

二次災害こそ防げたものの、相当な高さから落下してきた彼女が助かる見込みはないだろう。

なんともグロテスクな光景であり、私は思わず目を逸らした。

遠目ではあるが落下後の彼女の様子をチラリと見やると、そこは血溜まりであり、即死しているように思われる。

私はどうしていいのか分からずにパニックに陥っていたら、あろうことか落下してきた女性がムクッと起き上がり、ギョロッと私の方を睨みつけたのだ。

私は腰が抜けそうになりながらも、彼女の方に近付いてはいけないと直感したので、後退りをしていると、彼女は私の方に近づきながらこう叫んだ。

「ずっと見ていたくせに、なぜ助けに来ないいいぃぃぃ!!!」

私は一目散に彼女から逃げ出したところで目が覚めた。

 

 

とてつもなく気味の悪い夢で目覚めるGW最終日の朝。

私は身震いしながら仕事へと赴くのであったが、本当に恐ろしいのは当たり前のように休日出勤を強いられている私のGWそのものではないだろうか。

働きざかりの君たちへ

ゴールデンウィーク。皆様、いかがお過ごしだろうか。

私はというと、祝日もお構いなしに出勤続きである。

働かせていただいている。

おっといけない。ついつい社畜的思考が出てしまった。

世間は連休を無駄にするまいと有意義な日々をお過ごしであろうが、私は無の表情で戦地へと赴く。

行楽へ向かう者たちとは顔つきが違う。

決して羨ましくなんか・・・ない。

しかし、一体これのどこがゴールデンだと言うのか。

業務をこなしながらふと思い耽る。

物は考えようであり、祝日なら電話も鳴らない、来客もない。

そんな誰にも邪魔されない静かな環境で集中して仕事に没頭できる。

ましてやそこに休日手当が上乗せされる。

ほら、まあなんてゴールデン。

 

・・・割り切れてるんだか、無理矢理自分に言い聞かせているのだか分からない私であるが、本日だけは完全休養。

ここ数年間のゴールデンウイークがフル出勤だったことを思えば、この期間中に1日でも休めること自体ありがたい話。

休ませていただいているのだ。

・・・いけないいけない。どうにも社畜思考が身に染みてしまっているようだ。

世間は世間、私は私。

楽しみたい奴は楽しめばいい。働かなければならない奴は働けばいい。それだけの話。

ただ、イオンが混み合うのだけは勘弁してほしい。

仕事帰りに夕飯を調達したいだけなのに、何故こんな人集りに揉まれなければならんのだ。

しかもほとんどの弁当や惣菜が売り切れときた。

私にも遊びに行かせてくれとまでは言わないが、せめて普通に飯だけは食わせてくれ。

飯だけは平等に食す権利があって然るべきだろう?

 

とまあ、なんだかんだ言って今日1日はゆっくりできた気はする。

世間は明日も祝日らしい。

祝日以前に月曜日である。

月曜日は働き始めの日と相場は決まっているのだ。

少し早いが週始めに備えてしっかり身体を休めるとしよう。

復活の初手

「初めまして」・・・と同時に、「ただいま」と言わせてほしい。

約1年振りに「書く場所」へと舞い戻ってきたのだ。

 

かつて私は学生時代に某SNSサイトで頻繁に日記を更新していた。

日常に起こった他愛も無い内容のものをはじめ、時には己の中に溜まった鬱憤を吐き出し、時には過剰な妄想劇をSNS上で繰り広げていたものである。

記事本数だけで見るとその数は500をゆうに超える。

 

 

「書く」という行為は私の生活の一部であり、その行為に心地良さすら覚えていたため、大学卒業後は「そういった仕事に就けたら」という思いもあったのだが、結局私は平々凡々な職に就くことに落ち着き、労働を主とした面白みの無い日常の中で気付けば5年程続けていた日記更新の習慣さえも失ってしまっていた。

堕落人生の一途を辿っていることは一目瞭然である。

 

しかし、やはり執筆欲に駆られた私は、数年前に満を持してひっそりと個人ブログを開設した。

「書く楽しさ」を取り戻し、細々とではあるがしばらくの間、ブログ運営を続けていた。

数えるほどではあるが、欠かさず記事を読んでくださる読者もついた。

 

しかし、そんなブログ生活も長くは続かなかった。

仕事での過度のストレスにより、体調を崩してしまったのである。

常に吐き気に襲われ、動悸を繰り返す日々。

挙句の果てには入院に至るまでの病気にもかかり、とてもじゃないが悠長にブログを更新している余裕など皆無の状態であった。

今思えばあれは鬱の前兆、あるいは鬱そのものだったのかも知れない。

 

そんな私であったが病院に通い出してしばらく経つと、次第に体調も良くなり始め、吐き気や動悸も見られなくなってきた。

生活にも張りが出始め、3月頃からはまたもや執筆欲が湧き出てくるほどまでに回復していることに気が付いた。

そうして「4月から改めてブログ生活を再スタートさせるんだ」と息巻いたのも束の間、人事異動によりまたもや私を取り巻く環境が大きく変わってしまったのである。

しかし、最早これしきのことで動じる私ではなかった。

前年の苦しみに比べると屁のような変化であり、むしろその環境の変化を肯定的に受け入れてさえいた。

ただ、引き継ぎ業務の忙しさだけは回避できないもので、4月はひたすら仕事に追われる日々であり、私のブログ再スタートはどんどんと先延ばしになってしまっていた。

とはいえいつまでもダラダラとはしていられない。

なんとしてでも4月中には再スタートしたいという想いから、月末のギリギリのところでなんとか初稿を滑り込ませたという次第である。

 

ところでなぜ、元々運営していた個人ブログの方へと戻らなかったのか。

当然その選択肢も考えて、過去の投稿を読み返していたのだが、始めた時こそ勢いはあったものの、病み始めていたためであろうか、途中からの失速が半端ない。

後半の投稿なんてもう見ていられない。

とにかく覇気がない。

一体どの層に需要があるというのか。

ここは私の帰る場所ではない。

 

そんなこんなで私にとっての“病み”の時代は“闇”に葬り去り、新生「私」として生まれ変わるべく、別サービスでの再スタートを試みたのである。

皆様、宜しくどうぞ。